2011/10/25
06:22:27
最近は、異常すぎる気象について考えております。
で、以下けっこう長くつづきます。
(※3800字くらい)
で、以下けっこう長くつづきます。
(※3800字くらい)
先月、わが故郷の紀伊半島が台風による大規模な土砂災害に見舞われ
けっこうなショックを受けておりましたが、
今度はタイの洪水の広がりようがハンパない。
なんでも、今月末に大潮(海水がチャオプラヤ川に逆流する現象)がある影響もあり、
洪水が完全に引くまでには6週間かかる可能性もある、とか。
6週間も水に浸かりっぱなしの街ってどんなんやって感じですが。
それにしても近年、世界中で大洪水が増えてきているような。
しかも、発生するスパンも短くなってきているような。
そんな気がします。
中国の長江なんかは去年も今年も大干ばつがあったと思ったら大洪水になったり、
(しかも、被害の大きかった去年では被害者数が1926万人とか…ケタが尋常でない)
オーストラリアでも昨年末から年明けにかけて大洪水で
約200万人が被災し、浸水地域は50万平方キロメートルだったとか。
余談だけど土地柄、巨大なヘビやワニが家に迷い込んだらしい。
年明けには、ブラジルのリオデジャネイロ近郊の地域でも
豪雨による大規模な土砂災害に見舞われ、
それは過去44年で最も激しい豪雨だったという。
などなど、災害の規模がいちいち巨大化してきている。
地球が悲鳴をあげている、とはよく聞くけど
何においてもそうであるように、症状が出てきたらもう遅い。
医者は病気を治すのも仕事だが、病気にさせないのも仕事だ。
とかゆう言葉もあるがそれと同じく、
症状が出る前に兆候を発見してなんとか進行を止めておくべきだったのだ。人類は。
でも、しかたなかったのかもしれない。
前例がないから。
これがおそらく兆候なのだろうと思ったところで、
どんな症状になるのか誰も知らない。
何人かの優れた先人たちは、
微々たる兆候を発見して頑なに主張しつづけたが誰も見向きもしなかった。
カール・セーガンが、
オゾンの与える環境への悪影響について語った文章に面白い例えがある。
「ピストルの引き金がひかれたとして、
《弾が当たった》と被害者か襲撃者が気づくまでに
何十年とかかる場合を考えてみよう。
こうなると、武器を手近に所持することが
危険だということを理解するのは、さらに難しくなる」
(『百億の星と千億の生命』)
と、そんなことを書くのも
かくゆう自分に、近ごろ痛風の兆候が現れてきたからである。
ようやく「弾が当たった」のか。
右足の先が、たまにピリリと刺激が走るのだ。
こんなことになるなら酒なんて…。
タバコ吸って次の日に肺ガンになるというなら誰も吸わないだろうし
酒飲んで翌日いきなり痛風になるというなら誰も飲まないだろう。
初めての酒の席。
@新入社員歓迎会。
――――こ、これが、もしやあの噂の、さ、サケという……ウムそうだしかし飲むとだな次の日めっさ足痛くてたまらなくなるのだがそれでもいいのかキミもちろん覚悟のうえです部長ウムそうか私としては敏腕あるいはビンビン営業マンの素質を見込んだキミの銀ギラ銀で且つさりげなさそうな足を損ないたくないのだよ本当に後悔しないのだなハイくださいその至福の一滴をっナニ明日歩けなくなってもかエーそこまでは聞いてないですよ部長ありえないっスそれチョーこわいんですけどーフフン気まぐれな奴だまるで乙女心か秋雨のようではないかフハハハ意味わからないっす部長――――云々。
まあそんなところか。や、ちがうな。
とりあえず飲む。
飲んで飲んで飲まれて飲むのです。
やがて静かに眠るのでしょう。
ところでしかし蓄積はおそろしい。
努力や良い行いの蓄積は、
ちょっとした失敗や中傷にも
めげない強靭な精神力と実力を備えられることになるが
同じように負の蓄積も、
いったん築き上げられると崩れにくい。
元に戻すのに何倍もの時間をようすることしばしばだ。
人類は、自然が永い年月をかけて培ってきたものを、
地球の歴史で見ればわずか一瞬で奪い去ろうとしている。
より快適な生活のため、一部の人間の私腹を肥やすため、
カネとモノに踊らされて、ひたすら産業を巨大化してしまったあげく
休むことのない消費と破壊があるばかり。
再生の余地もない。
あとは、いつもどこかで行われている人類同士の無謀な殺戮と。
「欲望は塩水のようなものだ」とショーペンハウアーは言った。
「飲めば飲むほど喉が渇く」
果てしない。
そりゃ飲んでいるうちは気持ちがいいだろう。
しかし、ある時体調に異変が。
目に見える症状になったときには
あらゆるところに転移して手のつけようがない。
そんなところか。
いろいろ複合的作用があるには違いないが、
世界的な大雨/大洪水のいちばんの原因は、森林伐採だと思う。
世界で、毎年1300万haの森林が減少している。
これは日本の国土の三分の一にあたる。
よく例えに出る東京ドーム(4.7ha)でいえば約276万5967個分となり、
わざわざ計算したのに逆にこれはいささか想像しづらくて残念至極だが
ともかくそんなとてつもない量の森林が毎年伐採されているのです。
販売材木用もあるが、多くは牧草地や畑になる。
人間の食糧を生産する家畜のための。
もしくは、家畜の飼料穀物のための。
(家畜が環境破壊に及ぼす影響については後述する予定。次回か次々回かな)
森林が伐採されると、土地の保水能力がなくなり、
雨が降れば、すぐに蒸発することになる。
それまでは、根っこやら腐葉土やらのおかげで
水分はしばらくとどまっていたし、
蒸発を始めてもまだ樹々が日光をさえぎってくれているから
ゆるやかな蒸気の上昇だったのに
みすぼらしい野原やハゲ山になってしまうと
すばやく上空まで舞い上がってしまう。
となると急激に蒸気が集まるものだから、
すぐに水滴の細かい粒子は結合して雨となり、大量に降り注ぐ。
大量の降水は、また留まることなくすぐに蒸発し
またすぐに大量の雨を降らす
という悪循環。
そんなに瞬時に分厚い雲ができなければ、
ゆるやかに大空をただよって
広い範囲で適度に雨を降らすのだろうに。
現に昔はそうだったのだろう。
さらに悪いことに、山間部では、
樹々が根を張ることにより地盤が強化されていたのが、
ふんばってくれるものがなくなった結果、
地滑りや土砂崩れが起きやすくなる。
先だっての紀伊半島の山林は、
一見して樹々に覆われているように見えるが
樹齢が若いものが多い。
それは林業/製糸業の盛んになり始めた約一世紀前から
伐採されては、植林されはするが
せいぜい数十年で刈り取られるものがほとんどだからで、
となると、根の張りも浅く保水力も弱くなる。
今ではもう、自然に広がる植生に見られるような
樹齢数百年になるような樹は、まず見られない。
奥地の原生林や熊野古道沿いでもなければ。
タイでは、過去2~30年で急速に森林が減少した。
特にここ10年の減少率はいちじるしく、
東南アジア地域では最も加速が進んでいる。
単純に販売目的の伐採もあれば、
工業用地や生活圏のための土地開発もあったが
経済発展の代償は大きかった。
私利私欲のツケはいつだって残酷だ。
今回に関しては、タイのみならず近隣諸国(中国南西部、ミャンマー、ラオス)
での森林減少も大きな要因だろう。
チャオプラヤ川上流に位置するそれら諸国の保水力が弱まれば
どんどん下流域に流れ込む。
その下流域もさらに保水してくれる森林がないものだから
水分は留まる暇がない。
森林があれば、水を蓄えてくれるだけでなく
樹々が吸い上げてくれて
川に流れる量は大幅に減ったはずが
それが今ではもう無い。
広範囲の流域面積を持つ川だから、なおさら被害は大きくなる。
伐採を大きな要因として書いてきたが、
もちろんそれだけでなく、いろんな要素が関連しているわけで
森林減少 ⇒ CO2吸収力低下 ⇒ 気温上昇 ⇒
氷河減少および極地の氷解 ⇒ 海面上昇 ⇒
循環する水分絶対量の増加 ⇒ 加速された蒸発による気流の変化 ⇒
局所的な大雨 ⇒ 保水されず川に流れ込む ⇒ 大洪水/土砂災害
とまあそんな流れではないだろうか。
そんな水の循環は、あたかも目まぐるしく情報が飛び交う現代社会のようでもあり、
皮肉なことに、人間の生活が即物的になってしまったことに比例しているように思える。
何か食べたければコンビニかスーパーにいけば、
季節に関係なくなんでも揃っている。
朝に種をまけば、夕方に花や果実がなると思っているようなものだ。
コンビニで買うその弁当の米は去年田植えしたものであり
キャベツは半年前に種をまかれたものである。
果物は一度実がなるまでには、種を植えて数年待たねばならない。
(そして、弁当工場は、惣菜の出来そこないを今夜のおかずにと持って帰るパートのオバちゃん達を雇うのに50年待たねばならなかった!)
もともと人間は、普通に生活しているなかで
そういった摂理を自然と学んでいたはずだが
いつのまにか忘れてしまったらしい。
逆に考えれば、
悪い行いも、すぐには芽が出ないが
長い期間の後に目に見えて現れてくる
ということが、昔の人なら
より良く理解できていたのかもしれない。
別段、懐古主義に傾倒するつもりはないが
世の中あまりに即物的、成果主義的に陥ってしまったため
何がしかの仕事であれ、すぐに結果を出さないと認めてもらえないのが社会の実情としてある。
僕が長年たずさわっている音楽業界でも、レコード会社との数年契約などというものは
ある程度大物にならないと結ばれず、CD一枚ずつの契約とかでそれで売れなければサヨナラ、みたいな。
世界中の農地が、化学肥料や大量の家畜の糞尿のため
土地がへたってしまっているのと同じく
人間を育てていく社会という土壌も
個々の精神が廃れて、へなへなになってしまっているのかもしれない。
と、そんなところで
けっこう長くなってきたので
次回も環境問題に関して
素人見地ながら何がしか書こうかと思います。
といっても最近、異常すぎる多忙のため
次いつ更新するかわかりませんが
あるいはひょっとしたら早いかもしれません。
そう遠くないうちに
ではまた。
けっこうなショックを受けておりましたが、
今度はタイの洪水の広がりようがハンパない。
なんでも、今月末に大潮(海水がチャオプラヤ川に逆流する現象)がある影響もあり、
洪水が完全に引くまでには6週間かかる可能性もある、とか。
6週間も水に浸かりっぱなしの街ってどんなんやって感じですが。
それにしても近年、世界中で大洪水が増えてきているような。
しかも、発生するスパンも短くなってきているような。
そんな気がします。
中国の長江なんかは去年も今年も大干ばつがあったと思ったら大洪水になったり、
(しかも、被害の大きかった去年では被害者数が1926万人とか…ケタが尋常でない)
オーストラリアでも昨年末から年明けにかけて大洪水で
約200万人が被災し、浸水地域は50万平方キロメートルだったとか。
余談だけど土地柄、巨大なヘビやワニが家に迷い込んだらしい。
年明けには、ブラジルのリオデジャネイロ近郊の地域でも
豪雨による大規模な土砂災害に見舞われ、
それは過去44年で最も激しい豪雨だったという。
などなど、災害の規模がいちいち巨大化してきている。
地球が悲鳴をあげている、とはよく聞くけど
何においてもそうであるように、症状が出てきたらもう遅い。
医者は病気を治すのも仕事だが、病気にさせないのも仕事だ。
とかゆう言葉もあるがそれと同じく、
症状が出る前に兆候を発見してなんとか進行を止めておくべきだったのだ。人類は。
でも、しかたなかったのかもしれない。
前例がないから。
これがおそらく兆候なのだろうと思ったところで、
どんな症状になるのか誰も知らない。
何人かの優れた先人たちは、
微々たる兆候を発見して頑なに主張しつづけたが誰も見向きもしなかった。
カール・セーガンが、
オゾンの与える環境への悪影響について語った文章に面白い例えがある。
「ピストルの引き金がひかれたとして、
《弾が当たった》と被害者か襲撃者が気づくまでに
何十年とかかる場合を考えてみよう。
こうなると、武器を手近に所持することが
危険だということを理解するのは、さらに難しくなる」
(『百億の星と千億の生命』)
と、そんなことを書くのも
かくゆう自分に、近ごろ痛風の兆候が現れてきたからである。
ようやく「弾が当たった」のか。
右足の先が、たまにピリリと刺激が走るのだ。
こんなことになるなら酒なんて…。
タバコ吸って次の日に肺ガンになるというなら誰も吸わないだろうし
酒飲んで翌日いきなり痛風になるというなら誰も飲まないだろう。
初めての酒の席。
@新入社員歓迎会。
――――こ、これが、もしやあの噂の、さ、サケという……ウムそうだしかし飲むとだな次の日めっさ足痛くてたまらなくなるのだがそれでもいいのかキミもちろん覚悟のうえです部長ウムそうか私としては敏腕あるいはビンビン営業マンの素質を見込んだキミの銀ギラ銀で且つさりげなさそうな足を損ないたくないのだよ本当に後悔しないのだなハイくださいその至福の一滴をっナニ明日歩けなくなってもかエーそこまでは聞いてないですよ部長ありえないっスそれチョーこわいんですけどーフフン気まぐれな奴だまるで乙女心か秋雨のようではないかフハハハ意味わからないっす部長――――云々。
まあそんなところか。や、ちがうな。
とりあえず飲む。
飲んで飲んで飲まれて飲むのです。
やがて静かに眠るのでしょう。
ところでしかし蓄積はおそろしい。
努力や良い行いの蓄積は、
ちょっとした失敗や中傷にも
めげない強靭な精神力と実力を備えられることになるが
同じように負の蓄積も、
いったん築き上げられると崩れにくい。
元に戻すのに何倍もの時間をようすることしばしばだ。
人類は、自然が永い年月をかけて培ってきたものを、
地球の歴史で見ればわずか一瞬で奪い去ろうとしている。
より快適な生活のため、一部の人間の私腹を肥やすため、
カネとモノに踊らされて、ひたすら産業を巨大化してしまったあげく
休むことのない消費と破壊があるばかり。
再生の余地もない。
あとは、いつもどこかで行われている人類同士の無謀な殺戮と。
「欲望は塩水のようなものだ」とショーペンハウアーは言った。
「飲めば飲むほど喉が渇く」
果てしない。
そりゃ飲んでいるうちは気持ちがいいだろう。
しかし、ある時体調に異変が。
目に見える症状になったときには
あらゆるところに転移して手のつけようがない。
そんなところか。
いろいろ複合的作用があるには違いないが、
世界的な大雨/大洪水のいちばんの原因は、森林伐採だと思う。
世界で、毎年1300万haの森林が減少している。
これは日本の国土の三分の一にあたる。
よく例えに出る東京ドーム(4.7ha)でいえば約276万5967個分となり、
わざわざ計算したのに逆にこれはいささか想像しづらくて残念至極だが
ともかくそんなとてつもない量の森林が毎年伐採されているのです。
販売材木用もあるが、多くは牧草地や畑になる。
人間の食糧を生産する家畜のための。
もしくは、家畜の飼料穀物のための。
(家畜が環境破壊に及ぼす影響については後述する予定。次回か次々回かな)
森林が伐採されると、土地の保水能力がなくなり、
雨が降れば、すぐに蒸発することになる。
それまでは、根っこやら腐葉土やらのおかげで
水分はしばらくとどまっていたし、
蒸発を始めてもまだ樹々が日光をさえぎってくれているから
ゆるやかな蒸気の上昇だったのに
みすぼらしい野原やハゲ山になってしまうと
すばやく上空まで舞い上がってしまう。
となると急激に蒸気が集まるものだから、
すぐに水滴の細かい粒子は結合して雨となり、大量に降り注ぐ。
大量の降水は、また留まることなくすぐに蒸発し
またすぐに大量の雨を降らす
という悪循環。
そんなに瞬時に分厚い雲ができなければ、
ゆるやかに大空をただよって
広い範囲で適度に雨を降らすのだろうに。
現に昔はそうだったのだろう。
さらに悪いことに、山間部では、
樹々が根を張ることにより地盤が強化されていたのが、
ふんばってくれるものがなくなった結果、
地滑りや土砂崩れが起きやすくなる。
先だっての紀伊半島の山林は、
一見して樹々に覆われているように見えるが
樹齢が若いものが多い。
それは林業/製糸業の盛んになり始めた約一世紀前から
伐採されては、植林されはするが
せいぜい数十年で刈り取られるものがほとんどだからで、
となると、根の張りも浅く保水力も弱くなる。
今ではもう、自然に広がる植生に見られるような
樹齢数百年になるような樹は、まず見られない。
奥地の原生林や熊野古道沿いでもなければ。
タイでは、過去2~30年で急速に森林が減少した。
特にここ10年の減少率はいちじるしく、
東南アジア地域では最も加速が進んでいる。
単純に販売目的の伐採もあれば、
工業用地や生活圏のための土地開発もあったが
経済発展の代償は大きかった。
私利私欲のツケはいつだって残酷だ。
今回に関しては、タイのみならず近隣諸国(中国南西部、ミャンマー、ラオス)
での森林減少も大きな要因だろう。
チャオプラヤ川上流に位置するそれら諸国の保水力が弱まれば
どんどん下流域に流れ込む。
その下流域もさらに保水してくれる森林がないものだから
水分は留まる暇がない。
森林があれば、水を蓄えてくれるだけでなく
樹々が吸い上げてくれて
川に流れる量は大幅に減ったはずが
それが今ではもう無い。
広範囲の流域面積を持つ川だから、なおさら被害は大きくなる。
伐採を大きな要因として書いてきたが、
もちろんそれだけでなく、いろんな要素が関連しているわけで
森林減少 ⇒ CO2吸収力低下 ⇒ 気温上昇 ⇒
氷河減少および極地の氷解 ⇒ 海面上昇 ⇒
循環する水分絶対量の増加 ⇒ 加速された蒸発による気流の変化 ⇒
局所的な大雨 ⇒ 保水されず川に流れ込む ⇒ 大洪水/土砂災害
とまあそんな流れではないだろうか。
そんな水の循環は、あたかも目まぐるしく情報が飛び交う現代社会のようでもあり、
皮肉なことに、人間の生活が即物的になってしまったことに比例しているように思える。
何か食べたければコンビニかスーパーにいけば、
季節に関係なくなんでも揃っている。
朝に種をまけば、夕方に花や果実がなると思っているようなものだ。
コンビニで買うその弁当の米は去年田植えしたものであり
キャベツは半年前に種をまかれたものである。
果物は一度実がなるまでには、種を植えて数年待たねばならない。
(そして、弁当工場は、惣菜の出来そこないを今夜のおかずにと持って帰るパートのオバちゃん達を雇うのに50年待たねばならなかった!)
もともと人間は、普通に生活しているなかで
そういった摂理を自然と学んでいたはずだが
いつのまにか忘れてしまったらしい。
逆に考えれば、
悪い行いも、すぐには芽が出ないが
長い期間の後に目に見えて現れてくる
ということが、昔の人なら
より良く理解できていたのかもしれない。
別段、懐古主義に傾倒するつもりはないが
世の中あまりに即物的、成果主義的に陥ってしまったため
何がしかの仕事であれ、すぐに結果を出さないと認めてもらえないのが社会の実情としてある。
僕が長年たずさわっている音楽業界でも、レコード会社との数年契約などというものは
ある程度大物にならないと結ばれず、CD一枚ずつの契約とかでそれで売れなければサヨナラ、みたいな。
世界中の農地が、化学肥料や大量の家畜の糞尿のため
土地がへたってしまっているのと同じく
人間を育てていく社会という土壌も
個々の精神が廃れて、へなへなになってしまっているのかもしれない。
と、そんなところで
けっこう長くなってきたので
次回も環境問題に関して
素人見地ながら何がしか書こうかと思います。
といっても最近、異常すぎる多忙のため
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あるいはひょっとしたら早いかもしれません。
そう遠くないうちに
ではまた。
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