2016/12/08
04:33:39
今朝はというかもう昨日の朝になるけれども、奇妙なむかつく夢をみた。
自分が部屋で絵を描いていると、(ちなみに自分の住む部屋ともアトリエとも関係ない、アパートらしきところの一階だった)
外をゴミ収集車が通って、何か汁をこちらに飛ばしやがる。
てっきり生ゴミの腐乱汁かと思いきや、なぜだか水色のペンキであってそれが自分が描いていた絵にぴしゃっとかかってどろりと垂れた。台無しである。かと思えば、意外とアート。悪くはない。ほほぅ……と感心もしていたが、しかし社会を生きていく上での一般的対応は、ここで怒るべきなのだろうと思い、そのゴミ収集車の運ちゃんを怒ってやろうとした。(なぜだか走りさっておらず、停まっていた。)
われこらあほんだら何さらしてけつかんねんボケナスかぼちゃのちんかすマザーファッカーめとあまり下品になりすぎぬていどに罵声を浴びせようとした。が、言葉がつまって出てこない。唇が磁石でくっついているかのように開かず、なんとか開くことができたと思えば水中にいるかのように口が重く、言葉も前に発せられない。
苦労して一言は唾罵を飛ばしたと記憶しているが、その言葉が何だったか、忘れた。
運ちゃんは謝る気はないらしく、べたに中指たてて去ってゆく。
(じゃ、なんで車停めてわざわざ俺が出てくるのを待っていたのだ? まあ、そこが夢だ)
自分は「てめーのナンバー控えて警察に言ってやるからな」と叫び、(この時は普通に口がうごいた)ナンバーを控えた。
「45−5」
それしかメモしていない。
何県なのか、左の平仮名はどの文字だったのか。まるで記憶にない。
それでも警察に電話をかけてこのナンバーの持ち主を調べてくれろと嘆願するも、にべなく却下。
やれやれと横になったところへ、ゴキブリのお出まし。
なんでこんな寒い時期に、今日はさんざんだと思っていると、
このゴキブリ、何かちがった。
凍っていた。いや、氷の彫刻みたく半透明なゴキブリ、もしくはガラス製の小さな彫像、というイメージが近いか。
しかし、そんなやつが、動いていたのだった。
一般的ゴキブリに比べると断然おそく、カブトムシぐらい遅い。
さんざん不快さと好奇心とをもたせておいて、そのガラスのゴキブリは消え去り、目が覚めたのだった。
「455」の数字は鮮明に覚えていたので、ネットで検索してみると
エンジェルナンバーではけっこういい数字らしい。
エンジェルナンバー
エンジェルナンバーとは、つい先日、スピリチュアル系に詳しい友人からその存在を聞いたばかりで、
てっきりゾロ目だけなのかと思っていたら、いろいろあるようで。
というのも近ごろ、やたらとゾロ目の数字を見るので、
なんかそんな話からエンジェルナンバーとやらを教えてもらったのである。
この二日でも、ふと時計を見たときに、1:11と11:11があった。
1のゾロ目は特に強力らしい。
何か大きな変化がおとずれるらしい(?)
僕は、占い系は、悪いことは忘れさり、良いことだけわくわくして信じる傾向にあるので、これはまた楽しみだ。
悪いことは、それが起こらぬよう戒めとして心にとめておくのも、いいことだとは思う。
けれども、人によっては、これをするとよくない、あれもダメ、などと強迫観念めいたものに束縛されマイナスプラシーボ効果となってしまい、余計に悪い結果を招く場合もある。さらに極端な人になると、ますます占いや宗教にのめりこんでいって、自分の意志で行動できなくなってしまう。
僕もかつてはそのような傾向があった。
だから、今は忘れる。切り捨てる。
反対に、良いことはどんどん心のなかで思っていれば、余計に良い結果を招くことになる。
となれば、心はよろこびに満ち、悪い思考が存在しにくくなる。
マクロファージがガン細胞を食べてくれるようなものだ。よろこびが不安を飲み込んでくれる。
不安や心配というものは、物質的には存在しない。心のなかにあるのみだ。
心のうちのそれらを排除できれば、外の世界は不安に映らない。
と、そういえば、今回は夢のカテゴリーで書いていたのだった。
今日も断想と題したほうがよかったかもしれない。
前回からまた数日空いたけれども、こうやっていったん何がしかでも書き始めてみると、まだまだどんどん書きたくなってくる。不思議だ。
頭のなかで多方面に話題が派生してきている。
昨日今日と酒を飲んでないから、なおさら脳細胞が活性化しているのでしょうか。
ニューロンがビリビリ電波飛ばして共鳴しあってるんでしょうか。
そうだ、最近は休肝日をなるべく作るよう心がけている。
これについても書くと長くなる(笑)ので、そのうち。
ではまた近々。
外をゴミ収集車が通って、何か汁をこちらに飛ばしやがる。
てっきり生ゴミの腐乱汁かと思いきや、なぜだか水色のペンキであってそれが自分が描いていた絵にぴしゃっとかかってどろりと垂れた。台無しである。かと思えば、意外とアート。悪くはない。ほほぅ……と感心もしていたが、しかし社会を生きていく上での一般的対応は、ここで怒るべきなのだろうと思い、そのゴミ収集車の運ちゃんを怒ってやろうとした。(なぜだか走りさっておらず、停まっていた。)
われこらあほんだら何さらしてけつかんねんボケナスかぼちゃのちんかすマザーファッカーめとあまり下品になりすぎぬていどに罵声を浴びせようとした。が、言葉がつまって出てこない。唇が磁石でくっついているかのように開かず、なんとか開くことができたと思えば水中にいるかのように口が重く、言葉も前に発せられない。
苦労して一言は唾罵を飛ばしたと記憶しているが、その言葉が何だったか、忘れた。
運ちゃんは謝る気はないらしく、べたに中指たてて去ってゆく。
(じゃ、なんで車停めてわざわざ俺が出てくるのを待っていたのだ? まあ、そこが夢だ)
自分は「てめーのナンバー控えて警察に言ってやるからな」と叫び、(この時は普通に口がうごいた)ナンバーを控えた。
「45−5」
それしかメモしていない。
何県なのか、左の平仮名はどの文字だったのか。まるで記憶にない。
それでも警察に電話をかけてこのナンバーの持ち主を調べてくれろと嘆願するも、にべなく却下。
やれやれと横になったところへ、ゴキブリのお出まし。
なんでこんな寒い時期に、今日はさんざんだと思っていると、
このゴキブリ、何かちがった。
凍っていた。いや、氷の彫刻みたく半透明なゴキブリ、もしくはガラス製の小さな彫像、というイメージが近いか。
しかし、そんなやつが、動いていたのだった。
一般的ゴキブリに比べると断然おそく、カブトムシぐらい遅い。
さんざん不快さと好奇心とをもたせておいて、そのガラスのゴキブリは消え去り、目が覚めたのだった。
「455」の数字は鮮明に覚えていたので、ネットで検索してみると
エンジェルナンバーではけっこういい数字らしい。
エンジェルナンバー
エンジェルナンバーとは、つい先日、スピリチュアル系に詳しい友人からその存在を聞いたばかりで、
てっきりゾロ目だけなのかと思っていたら、いろいろあるようで。
というのも近ごろ、やたらとゾロ目の数字を見るので、
なんかそんな話からエンジェルナンバーとやらを教えてもらったのである。
この二日でも、ふと時計を見たときに、1:11と11:11があった。
1のゾロ目は特に強力らしい。
何か大きな変化がおとずれるらしい(?)
僕は、占い系は、悪いことは忘れさり、良いことだけわくわくして信じる傾向にあるので、これはまた楽しみだ。
悪いことは、それが起こらぬよう戒めとして心にとめておくのも、いいことだとは思う。
けれども、人によっては、これをするとよくない、あれもダメ、などと強迫観念めいたものに束縛されマイナスプラシーボ効果となってしまい、余計に悪い結果を招く場合もある。さらに極端な人になると、ますます占いや宗教にのめりこんでいって、自分の意志で行動できなくなってしまう。
僕もかつてはそのような傾向があった。
だから、今は忘れる。切り捨てる。
反対に、良いことはどんどん心のなかで思っていれば、余計に良い結果を招くことになる。
となれば、心はよろこびに満ち、悪い思考が存在しにくくなる。
マクロファージがガン細胞を食べてくれるようなものだ。よろこびが不安を飲み込んでくれる。
不安や心配というものは、物質的には存在しない。心のなかにあるのみだ。
心のうちのそれらを排除できれば、外の世界は不安に映らない。
と、そういえば、今回は夢のカテゴリーで書いていたのだった。
今日も断想と題したほうがよかったかもしれない。
前回からまた数日空いたけれども、こうやっていったん何がしかでも書き始めてみると、まだまだどんどん書きたくなってくる。不思議だ。
頭のなかで多方面に話題が派生してきている。
昨日今日と酒を飲んでないから、なおさら脳細胞が活性化しているのでしょうか。
ニューロンがビリビリ電波飛ばして共鳴しあってるんでしょうか。
そうだ、最近は休肝日をなるべく作るよう心がけている。
これについても書くと長くなる(笑)ので、そのうち。
ではまた近々。
- 関連記事
-
- AGナンバー (2016/12/08)
- 吉夢を見たらしい (2015/12/29)
- 夢 白い犬 (2015/09/03)
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック