2015/05/14
21:08:50
昨日、ひさびさに登戸に行き、飲んだ。
僕が上京以来16年ほど住んでいた街。
大学の先輩であり、
ミュージシャンとしても先輩であった人が、
今月いっぱいで実家に帰ることになったので。
その街には、半年くらい前に
電車乗り換えとかで一瞬立ち寄ったくらいで、
ゆっくりできたのは一年ぶりのことだ。
先輩と飲む前に、ひとりで多摩川をぶらついた。
夕映えが綺麗だった。

ここに来るたびに、いろんなことが思い起こされる。
バーベキューで騒ぐ学生たちをかたわらに、
ひとり川辺でしみじみした。
鴨が漁にはげんでいた。
写真を撮ると、UMAみたいに写った。
せっかくなので載せておく。

以前、月一ほどで通っていた駅前のバーに行った。
ちなみに数年前の記事『風評被害とマイナス・プラシーボ』に登場した店である。
マスターはいなかった。
見知らぬ若い衆である。
当時もたまにマスター不在でアルバイトの子が切り盛りしている日もあったので、今夜もそういうことだろうと、特に気にせず先輩と離れのテーブル席で飲んだ。
2時間ほどで会計を済ませた。
店を出るときに、
「今日は◯◯さん(マスター)は休みなんですね?
ぼく引越しちゃったんですけど、3年くらい前までよくここに来てたんですよ…」
バーテンの彼は
どうも何か言葉を選んでいるような
落ち着きのない表情である。
ようやく、
「ああ、そうだったんですね。
ありがとうございます。ですが……、
申し上げにくいんですが……、
◯◯は……、
交通事故で亡くなりました……」
僕は絶句した。
「常連だった方々みなさんには連絡がゆき届いておらず、申し訳ありません…」
マスターの死後、常連客から存続を望む声が多く、アルバイトだった今のバーテンが引き継いだそうだ。
およそ3年前、
僕が引っ越す数日前のこと。
「最後に飲みに来ましたよー」
「そんな、最後なんてさびしいこと言わないでよ〜」
「はは、都内に引っ越すだけですし、もちろんまた近くに来たらぶらりと立ち寄りますよ」
などと会話した情景が浮かんだ。
マスターの笑い声が脳裏にひびく。
バーテンが言った。
「またお近くに来られた際は、ぜひお立ち寄りください。◯◯もよろこぶと思います」
もちろん、また行くつもりである。
半年前、乗り換え程度で登戸を利用したとき、懐かしいのでぶらっと駅まわりを歩いた。
そのバーの前も通った。
外装はガラス張りで中が見える。
まだ開店前だったが、準備中のマスターに挨拶だけでもしようかと思っていた。
しかし、マスターは打ち合わせの最中のようで、スーツ姿の人たちとテーブルに座って話しこんでる様子。
僕は、またそう遠くないうちに来るだろうからと、そのまま通り過ぎた。
まったく人の命は、いつ終わりが来るのかわからない。
ぴんぴんしていた人が、事故で一瞬のうちに命をうばわれる。
いつその人に会うのが最後になるのかわからない。
誰かと会うときは、一瞬一瞬を大切にしたいと改めて思った。
先日、ゴールデンウイークに実家に帰省した。
両親やもう90近い祖母を見るに、あと何度この人たちと会うことができるだろうと切なくなった。
(そんなことを以前のブログにも書いたような気もする…)
できるだけ、そばにいてやさしく良き息子でいてあげたい。
産んでくれたこと、育ててくれたことに感謝の気持ちを態度で示してあげたい。
電話もこまめにし、近くに感じていてもらおう。
そう思った。
ずいぶん昔のインディーズに毛が生えたころのこと、バンドでライブツアーで廻ってたとき、同じ曲を何度も何度もやるのに飽き飽きしていた時期も正直あった。
でも、その地方の人にとっては、初めて観てくれたのかもしれないし、毎回観てくれるとしても地方では少なくとも数ヶ月ぶりとかになるわけで、初めて聴く曲もあるだろう、たとえ数人のお客さんだとしても気を抜くなど、失礼にあたると自戒したこともある。
そのころの自分はプロ意識が皆無だった。
これが最初で最後になるかもしれない。
今日観てくれた人が明日事故にでもあったら、
もしくは演者である自分たちの誰かに
不幸が起こらないとも限らないのに
と猛省した。
そして今日改めて、
一日一日を、
瞬間瞬間を、大事に
いつ死んでも後悔しないように生きたいと思った。
先輩とは、最後に
握手とハグして別れた。
熱いロックな兄貴である。
これが最後にはしたくない。
なんだかエラく湿っぽくなってしまった。
ま、たまにはいいでしょう。
そんな日もある。
ではまた。
僕が上京以来16年ほど住んでいた街。
大学の先輩であり、
ミュージシャンとしても先輩であった人が、
今月いっぱいで実家に帰ることになったので。
その街には、半年くらい前に
電車乗り換えとかで一瞬立ち寄ったくらいで、
ゆっくりできたのは一年ぶりのことだ。
先輩と飲む前に、ひとりで多摩川をぶらついた。
夕映えが綺麗だった。

ここに来るたびに、いろんなことが思い起こされる。
バーベキューで騒ぐ学生たちをかたわらに、
ひとり川辺でしみじみした。
鴨が漁にはげんでいた。
写真を撮ると、UMAみたいに写った。
せっかくなので載せておく。

以前、月一ほどで通っていた駅前のバーに行った。
ちなみに数年前の記事『風評被害とマイナス・プラシーボ』に登場した店である。
マスターはいなかった。
見知らぬ若い衆である。
当時もたまにマスター不在でアルバイトの子が切り盛りしている日もあったので、今夜もそういうことだろうと、特に気にせず先輩と離れのテーブル席で飲んだ。
2時間ほどで会計を済ませた。
店を出るときに、
「今日は◯◯さん(マスター)は休みなんですね?
ぼく引越しちゃったんですけど、3年くらい前までよくここに来てたんですよ…」
バーテンの彼は
どうも何か言葉を選んでいるような
落ち着きのない表情である。
ようやく、
「ああ、そうだったんですね。
ありがとうございます。ですが……、
申し上げにくいんですが……、
◯◯は……、
交通事故で亡くなりました……」
僕は絶句した。
「常連だった方々みなさんには連絡がゆき届いておらず、申し訳ありません…」
マスターの死後、常連客から存続を望む声が多く、アルバイトだった今のバーテンが引き継いだそうだ。
およそ3年前、
僕が引っ越す数日前のこと。
「最後に飲みに来ましたよー」
「そんな、最後なんてさびしいこと言わないでよ〜」
「はは、都内に引っ越すだけですし、もちろんまた近くに来たらぶらりと立ち寄りますよ」
などと会話した情景が浮かんだ。
マスターの笑い声が脳裏にひびく。
バーテンが言った。
「またお近くに来られた際は、ぜひお立ち寄りください。◯◯もよろこぶと思います」
もちろん、また行くつもりである。
半年前、乗り換え程度で登戸を利用したとき、懐かしいのでぶらっと駅まわりを歩いた。
そのバーの前も通った。
外装はガラス張りで中が見える。
まだ開店前だったが、準備中のマスターに挨拶だけでもしようかと思っていた。
しかし、マスターは打ち合わせの最中のようで、スーツ姿の人たちとテーブルに座って話しこんでる様子。
僕は、またそう遠くないうちに来るだろうからと、そのまま通り過ぎた。
まったく人の命は、いつ終わりが来るのかわからない。
ぴんぴんしていた人が、事故で一瞬のうちに命をうばわれる。
いつその人に会うのが最後になるのかわからない。
誰かと会うときは、一瞬一瞬を大切にしたいと改めて思った。
先日、ゴールデンウイークに実家に帰省した。
両親やもう90近い祖母を見るに、あと何度この人たちと会うことができるだろうと切なくなった。
(そんなことを以前のブログにも書いたような気もする…)
できるだけ、そばにいてやさしく良き息子でいてあげたい。
産んでくれたこと、育ててくれたことに感謝の気持ちを態度で示してあげたい。
電話もこまめにし、近くに感じていてもらおう。
そう思った。
ずいぶん昔のインディーズに毛が生えたころのこと、バンドでライブツアーで廻ってたとき、同じ曲を何度も何度もやるのに飽き飽きしていた時期も正直あった。
でも、その地方の人にとっては、初めて観てくれたのかもしれないし、毎回観てくれるとしても地方では少なくとも数ヶ月ぶりとかになるわけで、初めて聴く曲もあるだろう、たとえ数人のお客さんだとしても気を抜くなど、失礼にあたると自戒したこともある。
そのころの自分はプロ意識が皆無だった。
これが最初で最後になるかもしれない。
今日観てくれた人が明日事故にでもあったら、
もしくは演者である自分たちの誰かに
不幸が起こらないとも限らないのに
と猛省した。
そして今日改めて、
一日一日を、
瞬間瞬間を、大事に
いつ死んでも後悔しないように生きたいと思った。
先輩とは、最後に
握手とハグして別れた。
熱いロックな兄貴である。
これが最後にはしたくない。
なんだかエラく湿っぽくなってしまった。
ま、たまにはいいでしょう。
そんな日もある。
ではまた。
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コメント
Re:
>マスターがあの世で素敵なお店を開いていてくれたら、私が逝ったときに先に居る友人とお邪魔したいです。
予約が必要なさいはご連絡ください。
確認いたします。
しかし、ひょっとしたらマスターはその頃には生まれ変わって。あちらは閉店しているかもしれません。
予約が必要なさいはご連絡ください。
確認いたします。
しかし、ひょっとしたらマスターはその頃には生まれ変わって。あちらは閉店しているかもしれません。
寺澤晋吾│URL│2015/05/18(Mon)19:29:33│
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身近に潜んでるんですよね…
マスターがあの世で素敵なお店を開いていてくれたら、私が逝ったときに先に居る友人とお邪魔したいです。