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SHINGO 5° TERASAWA blog
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22:25:54
昨日、受け身な鑑賞について書きましたが
基本的に普段はアクティブに鑑賞しております。
なんじゃらほいな感じかもしれませんが
まあようするに自己参加型とゆうかコラボレーション的な鑑賞とゆうか、そんなところです。


鑑賞する際、僕が好きなのは
もっぱら絵画と小説(詩や戯曲も含む)となるわけですが
というのもそれらが一番自己参加しやすいからです。

じゃあ絵画と小説が自分にとってなんでそうなんかとゆうその前に、
他の分野ーー音楽や映画がなぜ違うのかについて、そこから述べようかと。。
とまあアルコールで萎縮してしまったような鈍い脳をせいぜい絞りだしつつ以下に記すことにします。

※長いので2回に分けます。
(2~3000字ずつくらい)


■音楽

まず、音楽(この場合は録音作品としての音楽)と映画両方とも時間に支配されているため
その時点で鑑賞側はすでに受動的になっていて、
こちらがどういう流れでその作品を感じ取りたいかに関係なく、
徹頭徹尾支配されてしまっている。
その場合「時間」という存在は宇宙をつかさどる絶対的存在のようで
まるでわれわれなどはベルトコンベヤーに乗せられたイワシか何かで、
「時間」とは表情ひとつ変えずイワシの頭を包丁でちょん切るパートのおばちゃんのような絶対的権力の行使者であるかのように思える。

…なんてのはともかく、
演奏家や指揮者が表現したい時間感覚のなかにこちらも流されないと心地よくならないわけで
その流れがこちらの好みでないと、もう受け付けないという状態になってしまう。
今言ったようなことは、クラシック音楽に主にいえることで、
しかし演奏家や指揮者はあふれるほどいるので、自分好みに演奏してくれる人はだいたい見つかることでしょう。
それにしても、元々の作曲者たとえばベートーベンとかは一体どういうふうイメージを描いていたのだろうかと思うことがよくあります。
今、名演奏家とか名指揮者と言われている人たちは、オリジナルの作曲者の前で弾いたら絶賛されるのかというと疑問だ。
チャイコフスキーコンクールで優勝した人が、
もし(絶対にないが)チャイコフスキー本人の前で弾く機会があったとしたら
チャイコフスキーは感動のあまりおののくのか、それとも予選落ちした人のほうが
実はチャイコフスキー本人の好みに弾けてたりはしないか…云々。
とまあ、クラシックばかりについて書いたけど、ロックとかについてはまた後ほど。


■映画

で、映画となると
総合芸術といわれるごとく、ストーリー性も映像も音楽も演技もすべて詰め込まれていて
あげくそのすべてがまたある一つの「時間」の流れに沿って展開しているため
鑑賞者はただひたすら受け身になり、表現されるものに浸るしかない。
ヨーロッパ映画は適度な間があって、鑑賞者が参加できるような余地を残してくれているが
ハリウッドものなどは鑑賞者が介入する余地があまりない。
詰め込み過ぎててたまに息苦しいと思えるくらい。

ところでしかし、なんでアメリカのものは
食い物にしろなんでも腹いっぱいにさせようとするんだろう。
具沢山の映画で精神的にも肥満にさせるつもりか。
いやすでに精神的にも肥満大国なのではなかろうか。
ちょっとしたことですぐ裁判を起こす社会構造はそこから来ているのではないか??

まあともかく、だからハリウッド的な映画(ただし、デヴィッド・リンチを除く)は、
よほどぐったりして何も考えずに観たいような時に観ることにしている。
(そんな時は仕方ない、アメリカ的ピザでもLサイズコーラでももうなんでも食ってやりますよ)

映画の場合、「時間」の流れは
監督独自のストーリー展開、間、テンポ感となる。
簡単に言っちゃえばセンスとなるけれども。
普遍的なテンポ感を持った人は万人受けする作品をつくることができるが
それが人によって性に合わないのは当然のことで、
顕著にみられるのは映画の前に小説/戯曲などで原作が存在する場合でしょう。

たとえば或る小説が映画化された場合
原作のほうがよかったとかいう意見が多々聞かれるが
それは原作の小説を個人個人が持っている時間感覚で読んでいるわけだし、
ある情景描写によって感じとる風景や匂い、表情などは千差万別となるのは当然のことなのです。

すこし戻りますが、
元をたどればそれは音楽にもあったことだった。
まだまだ録音技術のない時代、音楽を聴くということは
宮廷、貴族のサロンやコンサートに行くことを意味した。
たとえば150年前、新曲の発表ならまだしも
すでに古典となっていたバッハやモーツァルト、ベートーベンなんかは
貴族の家庭では譜面として家にあり
読譜能力のあった上流階級の人々は、譜面を読むことによって作品世界を理解していた。
その上でコンサートに行き、この演奏家はどうだああだとか指揮者は…とか言ってさんざん批評したあと、
読譜によって自分が想像していた世界観に近い表現をする演奏家がいたら賞賛、
もしくはそれを凌駕した音楽家がいた場合には誰もが絶賛する
というような風潮があったにちがいありません。

昔、友人の友人だったか友人の兄弟だったか忘れたけど
映画が趣味だという人で1日1本は映画を観ることにしているという輩がいた。
週一回くらいのペースでまとめてレンタルしていたらしいが
しかし結局仕事で忙しかったりして返却日までに観れてないものが溜まってくるため
早送りして字幕を追ってストーリーを理解しているとか言っていたが
はたしてそれで映画を観たといえるのかと思ったものです。
音楽は聴けないし、映像美も味わえないし、間が醸し出すスリル感だとか役者のセリフの良し悪しも何もか伝わらない。
映画が趣味といいながら、一日一本と義務づけすることによって返却間近にあせって自分の首をしめて余計なストレスを与えているようにしか思えない。
噂によると映画評論家も仕事に追われて消化できずしかたなく早送りをして
とりあえず流れだけでも掴んで仕事にのぞむというのもあるらしい。
真偽のほどはどうだかわからないが、たとえばピカソの「ゲルニカ」について語っているのに実際は画集かポストカードでしか観たことがないような人だったりするようなもので、いずれそういう人は世間が自然に淘汰していくことでしょう。


■絵画

絵画は、観れば一瞬で全体像をとらえることができるけど、
どこから詳しくどんだけ時間をかけて観るかは自由です。
自分の時間で、音楽も頭のなかに流れるようで、ストーリーも現れてくるような。
そんなひとときに浸ることができ、繊細なテクスチュアや、画家のほとばしるようなタッチをつかみ取るまでマジマジと観察し、味わうことができる。

絵画鑑賞で僕がもっとも好きな点は、
画家本人の手による作品を生で目の前で観られること、これに尽きる。
しかも美術館なんてせいぜいチケットが1500円くらいだ。
なんてこった。オリジナル作品が。
数百年前のや、何億もする作品でさえも、下北の屋○裏ではじめてライブをやるようなちんちくりんのバンドとチケット代が同じということだ。恐れ多い。
ところで一方クラシック音楽を聴きにいくとなると、
数千円からはじまり上は著名な演奏家や指揮者になると10万とかそれ以上とか、キリがない。
そりゃ名演この上なく文句はない音楽家たちだから素晴らしい演奏には変わりないんだけど
昔のヴァーチュオーゾ(巨匠)たちの曲を再現しようとしているわけで、
となると絵の世界では、ダヴィンチやフェルメールやレンブラントの名作を
ほとんどそっくりに描いてしまう人たちはその超絶たる模写テクニックにもかかわらず
全く浮かばれず、ただの贋作師として非難を浴びてしまうのはいささか世知辛いように思う。

それだからこそ、僕は絵画に魅力を感じているのかもしれない。
直観と一番直結している芸術が絵だと思うのです。
文学はある程度の理性の統制がなければ構築できず、
音楽は演奏の前にある程度の技巧がないと音楽にならない。
絵は下手でも感情の爆発だけで作品になるが、
音楽は下手では不快で成り立たず、
文学は感情の爆発だけでは支離滅裂で精神異常とみなされるかもしれない。

だから、絵こそがその芸術家の感性を直に伝えているものではないかと思うし、
実際そのアーティストが直に描いた作品が生で観られるのは幸せだと思うのです。
(しかし、細かくいえばセザンヌ以前の写実的表現主体の時代はこれに当てはまらない。
風景や人物をいかに上手く描写するかということに重点を置きすぎているので)


※(2)へつづきます。
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