2013/09/24
22:59:50
勝手に造語した英語ですがw
共時性的月光浴とでも訳しましょうか。
先日、とある偶然の出来事が起きました。
共時性的月光浴とでも訳しましょうか。
先日、とある偶然の出来事が起きました。
前回の記事で、
月について書きました。
法然上人の句
「月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ」
などを引用したりして
小粋なロマンチスト気取りで
思い返せば鼻持ちならぬ。
さておき、翌日は中秋の名月。
その夜、母方の祖父が他界いたしました。
僕は、その日、わがバンドのライブのため
大阪は道頓堀にいて
今夜の月は綺麗だ、と写真を撮り
twitterやfacebookにアップしていたころ
祖母が夕飯の支度ができたと、
昼寝をしていた祖父に呼びかけても意識がなく
すぐに病院に運ばれましたが
そのまま目覚めることなく旅立たれました。
それが、20:40ごろのことで
僕のライブ出演時間も20:40からでした。
通夜は、またライブと重なったため出られず
告別式には、なか日だったため
なんとか出席できました。
会場となったのが、
前述の法然上人の句が
掲げられていたお寺でした。
(今回訪れた時には、石垣から取り外されていましたが)
母方は、浄土宗で
そのお寺の檀家さんだったそう。
祖父の死の前夜、
法然の句とそのお寺のことを思い出し、
遠く離れた誰かも、同じ月を眺めているのだなと
感慨深くひたっていたころ
我が祖父も、月を眺めて
同じ月の光を浴びて
何か思いを馳せていたのでしょうか。
どこかで繋がったのかなと思うと
神妙な心持ちになります。
御年90歳、大往生でした。
なので、親族一同、
深い哀しみに暮れるという雰囲気はなく
むしろ、長寿を祝い、
葬儀後の食事会では
昔話に花がさき、笑いの絶えない
席となっておりました。
地元の歓楽街のはずれに家があったため
若いころは、はぶりもよく
毎晩のように飲み歩いたそうな。
その頃は、今では見る影もないほど
街自体がにぎわっていて
料亭には芸妓さんもいたようで
そんな料亭やらスナックやらの、
あらゆる女将さんやママさんから
名前を知られるほどだったらしく
携帯のない時代だったから、
よくわからぬ女から家に電話があったり、
時には突然見知らぬ女が来たり
祖母もほとほと困っていたようですが
今となれば、それらもすべて
いい語り草、笑い話となっていました。
しかも、自然な老衰死ということで
実におだやかな、幸せな寝顔のような
顔で旅立たれたそうです。
じゅうぶん人生を謳歌されたことと思います。
一緒に近所の川原へ釣りに行った。
ハゼやエビは手作りの網で穫った。
バッタやトンボも穫った。
近くの神社で蝉もたくさん穫った。
それらも全部手作りの網で。
竹トンボも作ってくれた。
笹で笛も作ってくれた。
すごく手先が器用な人だった。
晩年は陶芸に凝ってた。
庭に自家製の焼き釜まで作ってた。
いろいろ想い出あるなー。
ありがとう、おじいちゃん。
やすらかに。
晋吾
月について書きました。
法然上人の句
「月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ」
などを引用したりして
小粋なロマンチスト気取りで
思い返せば鼻持ちならぬ。
さておき、翌日は中秋の名月。
その夜、母方の祖父が他界いたしました。
僕は、その日、わがバンドのライブのため
大阪は道頓堀にいて
今夜の月は綺麗だ、と写真を撮り
twitterやfacebookにアップしていたころ
祖母が夕飯の支度ができたと、
昼寝をしていた祖父に呼びかけても意識がなく
すぐに病院に運ばれましたが
そのまま目覚めることなく旅立たれました。
それが、20:40ごろのことで
僕のライブ出演時間も20:40からでした。
通夜は、またライブと重なったため出られず
告別式には、なか日だったため
なんとか出席できました。
会場となったのが、
前述の法然上人の句が
掲げられていたお寺でした。
(今回訪れた時には、石垣から取り外されていましたが)
母方は、浄土宗で
そのお寺の檀家さんだったそう。
祖父の死の前夜、
法然の句とそのお寺のことを思い出し、
遠く離れた誰かも、同じ月を眺めているのだなと
感慨深くひたっていたころ
我が祖父も、月を眺めて
同じ月の光を浴びて
何か思いを馳せていたのでしょうか。
どこかで繋がったのかなと思うと
神妙な心持ちになります。
御年90歳、大往生でした。
なので、親族一同、
深い哀しみに暮れるという雰囲気はなく
むしろ、長寿を祝い、
葬儀後の食事会では
昔話に花がさき、笑いの絶えない
席となっておりました。
地元の歓楽街のはずれに家があったため
若いころは、はぶりもよく
毎晩のように飲み歩いたそうな。
その頃は、今では見る影もないほど
街自体がにぎわっていて
料亭には芸妓さんもいたようで
そんな料亭やらスナックやらの、
あらゆる女将さんやママさんから
名前を知られるほどだったらしく
携帯のない時代だったから、
よくわからぬ女から家に電話があったり、
時には突然見知らぬ女が来たり
祖母もほとほと困っていたようですが
今となれば、それらもすべて
いい語り草、笑い話となっていました。
しかも、自然な老衰死ということで
実におだやかな、幸せな寝顔のような
顔で旅立たれたそうです。
じゅうぶん人生を謳歌されたことと思います。
一緒に近所の川原へ釣りに行った。
ハゼやエビは手作りの網で穫った。
バッタやトンボも穫った。
近くの神社で蝉もたくさん穫った。
それらも全部手作りの網で。
竹トンボも作ってくれた。
笹で笛も作ってくれた。
すごく手先が器用な人だった。
晩年は陶芸に凝ってた。
庭に自家製の焼き釜まで作ってた。
いろいろ想い出あるなー。
ありがとう、おじいちゃん。
やすらかに。
晋吾
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- 若き宣教師との対話 (2013/10/01)
- Synchronized Moon-Bathing (2013/09/24)
- 無 (2013/08/06)
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コメント
御冥福御祈り申し上げます
あの月がやたらに綺麗に見えたのは
お祖父様からのメッセージだったのかもしれませんね?
そして、器用な才能は譲り受けた大切なものだと感じました。
ライブ、天から見てたかもしれませんね?
それはそれで、最高の見送り方だと思いますよ♪
老衰死の少ない今、お祖父様にとっても安らかなものだったのかもしれませんね?
お祖父様からのメッセージだったのかもしれませんね?
そして、器用な才能は譲り受けた大切なものだと感じました。
ライブ、天から見てたかもしれませんね?
それはそれで、最高の見送り方だと思いますよ♪
老衰死の少ない今、お祖父様にとっても安らかなものだったのかもしれませんね?
Coo│URL│2013/09/25(Wed)13:57:26│
編集
Re: No title
> あの日の月は
> 本当に特別な月だったんですね。
>
> ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます。
> 本当に特別な月だったんですね。
>
> ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます。
寺澤晋吾│URL│2013/09/29(Sun)21:45:37│
編集
Re: 御冥福御祈り申し上げます
> 老衰死の少ない今、お祖父様にとっても安らかなものだったのかもしれませんね?
そう祈っております。
ありがとうございます。
そう祈っております。
ありがとうございます。
寺澤晋吾│URL│2013/09/29(Sun)21:47:58│
編集
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本当に特別な月だったんですね。
ご冥福をお祈りいたします。